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国東簡易裁判所 昭和33年(ろ)1号 判決

被告人 河野昭

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は、被告人は自動車運転者なるところ昭和三二年一一月一九日勤め先である東国東郡安岐町瀬戸田の鮮魚商阿部竹夫所有の自動三輪車大分す―三三五〇号に鮮魚一〇箱約三五貫を積載運転し右阿部竹夫方より杵築市に向う途中、同日午前八時頃時速二五粁の速度で同町塩屋の塩屋橋にさしかかつた際進行方向に向い約一九米前方の、橋上右側を遊びながら歩行してくる登校途中の一〇人位の小中学生の一団を認めたのであるが、このような場合自動車運転者としては、右学童達は遊びに夢中のあまり、進行接近する車に気付かずして車の直前に走り出すなど、不測の行動に出ることが往々あるので警笛を充分吹鳴して注意を喚起し常に学童の動静に注意を払い、何持でも急停車など臨機の措置を執り得る態勢のもとに、速度を減じて徐行しつつ、危害の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにも拘らず、不注意にもこれを怠り単に一九米前方で警笛を一回鳴らし、速度を二〇粁位に落したのみで、まさか車の方に走り出して来るようなこともあるまいと軽信し漫然と進行したため、右学童との距離約五米位に接近した際、その中の一人安部国広(当一二年)が突如車の方に走り出してくるのを認め、これが危険を感じあわてて急停車しようとしたが及ばず、遂に車の右前部フエンダーを同児に衝突せしめて路上に顛倒させ、よつて同児に対し全治一四日を要する脳震盪及び顔面擦過傷を負わせたものである、と謂うのである。

そして安部国広、斎藤恵の各司法巡査に対する供述調書の記載、司法警察員作成の実況見分調書、証人安部国広、同斎藤恵、同本田勇次の各供述、被告人の当公廷における供述、検証の結果、及び医師中山啓作成の診断書の記載を綜合すると、被告人は自動車運転者であるが、前示日時前示自動車を運転して、時速二五粁位で、前示安岐町塩屋と下原の大字境に架けてある塩屋橋に北方から南方に向けさしかかつた際、前方から進行して来た小型四輪車と離合するため、速度を二〇粁位に減じて離合し、そのままの速度で七・六米位進行した地点で、右前方約二〇米附近の同橋上を三々五々歩行して来る登校中の小中学生約一〇名を認め、一回警笛を鳴らして注意をあたえ、更に五・四米位進行した地点で、突然右前方約五米の「干しわら」の蔭から、遊びに夢中となり被告人の運転する自動車に気づかずして自動車の進路前方に向い、前かがみになつて走り出して来た安部国広(当時一二年一一月の男児)を認めたので、急停車の措置を構じたが及ばず、約二、五米滑走した地点で該自動車の前部右側燈の下部フエンダーに衝突させ、前示公訴事実記載の傷害を蒙らしめたものであるとの事実を認めることができる。

そこで右の結果発生が公訴事実に謂うような被告人の過失に基因するものであるかどうかを検討するに、およそ自動車を運転する者は、道路交通取締法などの法規に定める基準に従つて運転すれば足るものでなく、進路前方にある人畜、物体の位置、挙動などを考えてこれに危害を及ぼすことのないように、前方を注視し、具体的事情に応じ減速するとか自動車の進行を警告するため警笛を鳴らすとか、その他臨機の措置をとるべき義務があることは言うまでもないことである、しかし予見し得ないものに対しその位置又は挙動を注視するとか、それが為めに必要の程度を越えて警笛を鳴らすとか言うようなことは、運転者の遵守し得る注意義務の範囲を越えたものと謂わねばならない。本件について見るに、検証の結果及び証人安部国広、同斎藤恵、同本田勇次の各供述、安部国広、斎藤恵の各司法巡査に対する供述調書の記載、被告人の当公廷における供述を綜合すると、被害者は前示事故の直前には、同行者の本田勇次、水口秋雄等と「影踏み」と称する遊びをしながら登校していて、前示被告人が事故直前に認めた学童の集団から離れて、被告人が小型四輪車と離合する前に右塩屋橋の西側(被告人の進行方向に向つて右側)欄干に立てかけて干してあつた「わらたば」の中に「おに」の目からのがれるために体を隠していたものであつてこのことを被告人が予知することは困難であつたことが認められる。このような場合に自動車運転者に対し、その所在を予測し、これに対し何時でも危害防止の措置を執り得る程度に徐行し、又は警笛を鳴らして自動車の進行を警告するなどの業務上の注意義務ありとすることは前説示のとおり一般的な遵守義務の範囲を越えるものであつて当裁判所の採らないところである。なお右事故発生に当り、被告人に交通法規違反の行為があつたとも又急停車の措置が適切でなかつたとも認められないばかりでなく、全証拠を検討するも、その他に被告人が相当の注意をしたならば結果の発生を予見し得たに拘らずその注意を欠いたという、いわゆる刑事上の過失責任を被告人に負荷させるべき資料はない。

以上説示のとおり、本件の結果発生は被告人の業務上の過失に基因するものと認むべき証拠がないので、刑事訴訟法第三三六条に則り、被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 吉松卯博)

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